このHPは、あくまで「青大将が走った頃」の東海道本線の急行が主題なので、ここからがある意味このHPの本流である。実車の解説と多少かぶる面もあるかとは思うが、あわせてご覧いただきたい。写真移りが悪い点に関しては、重ね重ねご容赦いただきたい。ケータイのカメラなんて、この程度である…。
ベース:キングスホビー
キングスホビーのマイネ37130をベースに、片方のデッキを埋め、屋根に冷房ダクトを取り付け。いまだとレボリューションファクトリーからキットが出ているのでそちらを使う方がいいだろう。こいつを含め、青帯ロネがずらっと6両並ぶこの時代の「彗星」は、下手な特急よりずっと貫禄がある。
長年謎になっていた、2-4サイド(下写真のサイド)のダクト有無だが、ついに実車の写真があらわれ(国鉄鋼製客車史 第2編)、実は2エンドの部分にダクトがあることが判明してしまった。また、4エンドのデッキは原型のまま、埋められていないことまで判明してしまった。マイネ38時代の写真ではあるものの、冷改後の写真であることは間違いなく、マロネ49も当然同様のスタイルであった、と考えるのが自然であろう。つまり、私が行った加工は、その二点において嘘っぱちだった、ということである。
ベース:レボリューションファクトリー
キットを素組み。台車はキングス。ボルスターの加工が甘く、車高は高いわ傾いてるわ、最悪の出来である。しかし、なぜこいつは2等A寝台扱いだったのだろうか。確かに全席個室ではあるが、非冷房である。この時代のA寝台は基本的に冷房付かつ個室寝台ということになっているはずで、考えてみれば詐欺みたいな話ではある。同じ事が十和田に入っていたマロネフ58にも言え、こいつに関しては個室じゃない部分に関してはC寝台扱いになっている。逆に、霧島などに使用されていたマロネ38は、個室部含めてすべてC寝台扱い。よくわからん話である。ロネ38の個室部は個室として扱われていなかったのだろうか。
ベース:21/レイルロード 9/レボリューションファクトリー
それぞれ、キットを素組み。レイルロードのキットはプレスの屋根が別売りされていたが当時手に入れることが出来ず、KATO20系(旧製品)の屋根を流用している。レイルロードのキットに限ったことではなく、当時のコンバージョンキットは内張と外張の窓ピッチが微妙に合わず調整に苦労する、なんて事が多かった。それでも、出してくれてただけありがたいという時代だったのだが。
当時の2等A寝台車には他にマロネフ58(ただしこいつは2等AC寝台)が在籍したが、東海道には関係ないのでとりあえず割愛する。他にも、マロネフ59やマロネ58、なんていう面子もいたが…これに関しては、項を改めようと思う。